「ある」ことへの感謝

先月、「通勤自転車をかっ飛ばして~」と冒頭で述べたが、その自転車が壊れた。長年愛用の電動自転車、冬場は特にバッテリーの弱さを実感。帰宅後、充電を忘れた日の翌朝は地獄を見る…という日を幾度となく繰り返した。
そしてこの春。3度目のバッテリー交換に、勇んで自転車屋さんに足を踏み入れたものの、バッテリーを手にした店員さんは開口一番「…これは…。何年ぐらい乗ってはります?」と核心を突いた質問。続けて「バッテリーを交換しても、モーターの部分があかんようになるんですよ…。寿命はだいたい8年ですね」。隠しても仕方が無いので「あー、そういう意味ではもう、倍(の寿命)は乗ってます」。店員さんは「よく持ちましたねぇ。いつ止まってもおかしくない年数ですよ」。もちろん新しいバッテリーの取り寄せもできるが、いつ止まるとも知れない状況で乗るよりは新車を買われた方が…とのこと。パンフレットを手にひと晩悩み、複数の候補から一台を発注した。壊れたのは、その翌朝のことだった。
電源を入れてペダルを漕ぎ出すも、いつものように後ろから背中を押されるような「ぐんっ」というアシストがない。見ると、さっきは入っていた電源が切れている。ん?と思い、もう一度電源を入れてみても、一瞬は入るがすぐに消える。入れる。消える。その繰り返し。まずい。これはまずいぞ…!
とにかくペダルを漕いで漕いで漕ぎまくる。しかし当然ながら、いつものように軽快には走らない。電動自転車は普通の自転車よりも車体が10キロほど重い上、私の自転車は古いため約30キロある。行きはひたすら上り。ほんの緩やかな上りでも、日頃の電動アシストへのありがたみを痛感。
そしてもう一つ。映画「ハウルの動く城」に出てくる荒地の魔女よろしく、額に汗をかき、ハアハア言いながらゆっくりにしか進めない私。うら若き女子大生の横を通過する時は「何このオバちゃん」と思われないよう必死で耐えたが、マスクがなければ鬼の形相。マスクがあって本当に良かった。
今はとっくに期限切れの、高校の駐輪許可シールが貼ってある娘の自転車で通勤する日々。普通自転車もこんなに重かったっけ? そんなことを思いながらも貸してもらえるありがたみを感じ、納車を待つ日々である。

 

(はなのぼう 5月号より)