桐一葉 落ちて天下の 秋を知る

片桐且元が詠んだとされる俳句です。落葉という自然の摂理で季節の変わり目と時代の変わり目を知るという、どこか無常観が漂う、まさに秋の風情そのままの句です。片桐且元は豊臣家の重臣。秀吉が没したのちは徳川方に転身します。人柄が良いだけとされ、NHK大河ドラマ「真田丸」でも(ご覧になってない方、すみません。)頼りない人物として描かれていますが、豊臣から徳川への流れをいち早く予見し、また己の姓をかけて俳句で表現するセンスは、巷間伝わるような凡庸な人物ではなかったことをうかがわせます。

さて俳句は、五・七・五の十七文字で構成される定型詩。川柳も同じです。

どちらも室町時代に流行った俳諧連歌がその起源とされます。俳諧連歌とは貴族の文化であった連歌を庶民が面白おかしく改造したものです。やがて俳句は芭蕉の出現で芸術性が高められ、「季語」や「切れ字」といった約束事によって文学の域に至ります。一方川柳は生活の機微を自由に詠み、滑稽さや面白さを追う文芸として広まります。
俳句は高尚、川柳は俗文のごとく扱われがちですが、日常を感性豊かに表現する遊び心が両者の真髄であり、区分することにあまり意味はないようです。

歳を重ねてくると身の回りの様々なことの終わりの始まりに気づき、なんともいえぬ寂しさにおそわれます。こんな時は俳句や川柳に気持ちを託し、さらりとやり過ごすのも面白いかもしれません。
自然を愛でながら俳句を詠み人生の本音は川柳で吐く。遊び心でこのロクでもない憂き世を渡っていきましょう。情報ステーションがお手伝いします。

(五十嵐 幸夫)