※同じ視覚障害をもつライトハウス職員が、視覚障害をもつ方々の「生の声」を、お伝えしていくこのコーナー。第9回目は、京都府南部、京田辺市で地域での活動に積極的に関わっておられる川島隆夫さんです。さーて今回はどんな話になっていくのか?

            

久保 それでは、川島さん、簡単でいいですので、自己紹介をお願いします。
川島 川島隆夫です。今年10月で65歳です。京都府京田辺市に住んでおり、4人暮らしです。実は中学2年生の時に発症してて、右目は早くから全く見えなかったのですが、左目はそれなりに見えていました。私の目の病気はスチーブンス ジョンソン症候群といって、100万人に一人の珍しい病気なんです。薬の副反応で起こるらしく、涙の成分が全くなくなるので、いつも目が乾燥した状態です。20分ごとに人口涙液をさして、通院して逆まつげを週1回抜いてもらったり感染症予防の点眼をしています。府立病院眼科が国の研究班をしておられ、ドクターからは「とにかく無理をしないで」といわれており、職場でもいろいろ配慮していただきながら、何とかがんばっていたのですが、退職を控えた数年前、見えていた左目の視力が突然低下して、病気休職のまま、定年退職を迎えました。
久保 そうだったんですか。いろいろと大変でしたね。
川島 職場に配慮いただきながら、目の障害があっても、何とか仕事を全うして退職日を迎えたかったのですが、それができなかった。職場に大きな迷惑をかけた。とても残念で、今でも申し訳ないと思っています。休職中に、京都ライトハウスに来て相談を受けました。仕事柄、ライトハウスは知っていたので、その点はよかったな、と感じています。障害者手帳の申請や、自分が使える福祉のサービスを知り、そして、「鳥居寮」で通所訓練を受け始めました。体調の良しあしもありましたので、休みがちでしたが、約1年6か月ほど訓練を受けました。
久保 見える側の左目の視力が急激に落ちてきた時の、川島さん自身の正直なお気持ちをお聞かせください。
川島 これは誰もが通るところなんでしょうが、これから先、視力がどこまで落ちるのだろうか、全く見えなくなるのではないかという不安と、自分自身これからどう生きていったらいいのか分からないとの不安の二つが大きかったです。もちろん先にも述べましたが、何とかやり遂げたいと思っていた仕事を休職しなければならなかったことについても、すごく悔しい思いをしました。でも救われたのは、鳥居寮でたくさんの人に知り合えて、多くの仲間ががんばっておられる姿に励まされた。見え方も年齢も全員違う、私よりも見えない人たちも、どんどんがんばって社会に出ておられる、そんな姿に接する中で、いろいろと励まされました
久保 京田辺市から京都ライトハウスのある京都市北区まで通所するのも、なかなか大変だったのではないですか。
川島 そうなんです。比較的交通機関に恵まれている京田辺市でも、家からライトハウスまで片道1時間半かかる。往復3時間です。帰宅するとクタクタ。わざわざ京都市内まで行かなくても、自分の住む京都府南部で、自分が受けた訓練のようなものができたらいいな、と。鳥居寮修了式で「南部にせめてミニ ライトハウスのようなサテライト事業がほしい。」と発言しました。北部の方はなおさらだと思います。その頃、他の仲間の中にも同じ考えの方が多くいることに気づきました。京都ライトハウスがある京都市内はともかく、そのような社会資源がない地域では、例えば自分に必要な訓練を受けたいと思っても、他の仲間たちと交流したいと思っても、その場所やサービスがない!そのような場所やサービスが、自分の住む地域でも必要なんだと強く感じたんです。京都府からの委託事業で、中途失明者巡回訪問制度は、随分前からあるのですが、みんなが集まって、訓練したり交流したりする機会はない。そんな思いをもっていたら、「南部サテライト事業」がスタートしましたので、私も何かできることはないかと思い、参加するようになりました。同時に地域の点字サークル「すみれ」で点字を教えていただくようになり、図書館でデイジー再生機器などを設置していただいたので、今でも操作勉強させてもらっています。
久保 実際に「南部サテライト事業」に参加している中で、今どんなことを感じておられますか。
川島 そうですね、以前私が鳥居寮で訓練を受けていた時と同じように、たくさんの仲間のがんばりに励まされることもよくありますよ。
でも一番気になっているのは、今の「南部サテライト事業」は、各地域で月1回開催されていますが、月1回では、音声ソフトを用いてのパソコン操作にしろ、デイジー再生機器の操作にしろ、なかなかマスターするのが難しい。勿論、個人差はあるし、皆さん頑張っておられますが、どうしても途中で、諦めてしまいそうな方もおられます。見えない・見えにくい中で、月1回にしろ、せっかくのチャンスを生かして通ってもらっているのに、あきらめてしまわざるを得ない人に対してどうしていくか、今後の「南部サテライト事業」や、障害者団体の地域での活動の課題の一つなのだと感じています。地域には、そのような人たちをフォローアップできるだけの力をもった仲間もたくさんおられる。その方々をどう繋げていくかが大きな課題だなと感じています。そして、訓練はもう難しいが、話を聞いてほしい、家にひきこもりがちだが、ここにきて励まし合いたいとの方を迎えいれることも大切です。それに、京都ライトハウスにしろ、「南部サテライト事業」にしろ、そのような資源やサービスがあるということ自体、それを必要としている人たちに対してほとんど情報が行きわたっていない。見えにくくなって、一刻も早く、その方に必要な情報が伝わることが、何より大切なのに、そうなっていないことが多い。これについては、私たち当事者も、より積極的に情報提供の担い手となっていくことが必要であるとともに、京都ライトハウスなどの施設からも、より積極的な情報提供をしていくことが、特に大切だと思います。
久保 そうですね、視覚障害者は、「情報障害者」ともいわれますので、私たち当事者としても、施設職員としてもどんどん情報を提供していける存在になっていかなければなりませんね。
川島 障害者団体の会員だとか、非会員だとか関係なく、その人が必要としている情報を迅速に伝えていく、工夫しながら進めていかなければならないと痛感しています。
久保 川島さん、ありがとうございました。次回は「南部サテライト事業」について、今後の期待や夢について語っていただきます。

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※「南部サテライト事業」について
京都ライトハウスでは、京都府南部地域でサテライト事業に取り組んでいます。この事業は、京都府視覚障害者協会と京都視覚障害者支援センターとの共催で現在は、宇治市、長岡京市、京田辺市などで行っています。京都府南部にお住まいの方を対象に、相談や情報提供、各種訓練(点字・パソコン・白杖の使い方など)、交流行事等を行っています。日程等詳細につきましては『京都府南部サテライト事業「集まって学びましょう」』をぜひご参照ください。