※同じ視覚障害をもつライトハウス職員が、視覚障害をもつ方々の「生の声」を、お伝えしていくこのコーナー。第8回目は、第7回目に引き続き、臨床心理士の小寺洋一さんです。小寺さんとのお話は今回が最後、さーて今回はどんな話になっていくのか?

久保 小寺さんの仕事柄、人の話を聴くことが多いわけだけど、その中で「見えることを超えられる瞬間がある」っていってたよね。仕事以外の場で、そのような瞬間ってある?
小寺 普段の生活の中で、見ることなしでスムーズにやっていく方法を、ごく自然に取ろうとしていると思う。例えばコンビニで買い物をするとしても、店員さんにどう声をかけようか、どうすれば目的の商品を探してもらいやすいか、なんてことを、ごく自然に考えていると思う。そんなことを考えてなけりゃ、スムーズな買い物もできないし、目的の商品を手に入れることできないからね。初めの頃は難しかったけど、経験を踏むうちに、店員さんへの声のかけ方から、商品のところに行って探してもらい、僕自身でそれを手に取って確認し、といった、一連の流れが、だんだんとうまくなっていったような気がする。僕の中では、どうすればうまくいくかな、って考え抜いてのこと、つまり第6回でも話した「心力」のおかげなのかとも思ってる。買い物って、もし見えたら、そこにはあまりドラマはないと思う。でも見えないと、そんな小さなことでもゲームのような、ドラマのようなものがあるんだ。うまくいけば、それなりに喜びは大きいし、そのような喜びを感じられるのって、「見えることを超えられる瞬間」の一つなのかなとも感じている。
久保 見えないって悲しいことで辛いことで、きっと喜びなんて少ないって思われてることが多いけど、見えない僕たちなりの工夫や努力で、例え買い物みたいに、些細なことでも、それがうまくいった時の喜びは、もしかしたら見える人たち以上に大きいかもしれないね。うまくいかなかった時のしんどさも大きかったりするけど…。
小寺 でも日常生活のいいとこは、」また次がある」ってことさ。例えうまくいかなかったとしても、次はどう対処しようか考えるチャンスもあるし、そこで「心力」が問われてくるんだと思うよ。
見えなくなって、5年が経ち、10年が経ち、20年が経ちという中で、生活の中のいろんな工夫が身に付いてきたと思うし、自信もついてきた。その自信が、また新たな、まだしたことないことへのチャレンジする気持ちを生んでくれてもいる。もちろんそのためには、いろんな工夫が必要なんだけど、その工夫も、人とのつながりの中で見付けられたりもする。
久保 小寺さんなりの、新しい工夫ってある?
小寺 点字シールってあるでしょ。本当は、整理するためにシールに点字を書いて、いろいろ貼っておけばいいんだけど、なかなか面倒。一度セロテープに点字を書いて貼ってみたんだ。でもやっぱり点字が読みにくい。だから、今度はメンディングテープを使ってみた。これも人から聴いた工夫なんだけど、これなら結構点字も読めるんだ。点字シールなら、そこに点字を書いて適当な大きさにハサミで切らないといけないんだけど、メンディングテープなら、セロテープと同じように台座のカッターですぐに切ることができるんだ。これで生活の中の悩みの一つ、「これ?何だっけ?」っていうことが解消されたよ。
久保 生活の中のヒントだよね。小寺さんも、僕も、見えていた年月より、見えない年月のほうがだんだんと長くなり、その中でいろんな工夫なんかが蓄積されてきているんだよね。
小寺 もし見えていたら、こんなことしなくても、見たらすぐわかることなんだけど、僕たちは点字シールなんかを貼って整理するってことが必要になる。でも、そのような工夫ができることや、その工夫がうまくいった時の喜びは、やっぱり大きいよ。僕はこの方法をセロテープ ブレイル(点字)、略して「セロブ」って名付けてる(笑)。
久保 それはうまいこと、いうね。
小寺 もう一つ、ファーストフードなんかの外食チェーン店のメニューがあるでしょ。最近はそれぞれの外食チェーン店のホームページがあり、自宅でパソコンを用いて閲覧することはできるんだけど、これを外出先で携帯なんかで見ることができたらいいな、って思ったことがあるんだ。そこで、知り合いのホームページ制作会社の人の力を借りて製作することができた。「ユーメニュー」っていうページなんだけど、これなら外出先で、いろんな外食チェーン店のページが閲覧できる。
今までだったら、店員さんに商品を聴いたりしてたけど、やっぱり遠慮もある。点字メニューも助かるんだけど、ぶ厚いのがドサッ、とくるとあせってしまう。正直、そういうときはなかなかたいへん。見えなくてやっぱり不便なことを、どうやってスムーズにできるようになるかを考えたり、それを実現していったりすることって、楽しいし、できた時はやっぱりうれしいと思う。
久保 これも小寺さんなりの「見えることを超える瞬間」の一つなんだろうね。
小寺 うん、そうだね。趣味でビオラを練習してるんだけど、曲を演奏するためには、楽譜が見えないわけだから、音の一つ一つを頭に覚えていかないといけない。見える人から比べれば、時間もかかるし、僕自身も無理じゃないかって思ったりもしたけど、実際に思ってるより憶えられた時や、それが局になった時の喜びってすごく大きい。時間がかかってる分、喜びが大きくなるんだろうね。
久保 1音1音の感動が、そこにはあるんだろね。
小寺 うまくいった時って、ふと「見えてないのに、できてるわ」って感じることがあるよ。自己満足なんかもしれないけどね。
久保 そんな時あるよな。小寺さん、最後に何かある?
小寺 うーん、最近、「一緒にがんばりましょう」って言葉がいいなって感じてる。この言葉を、他の人に対しても、力強くいえる人になりたいって思うんだ。
久保 単に「がんばりましょう」ではなくて、「一緒に」ってのが付いてるのがいいんだよね。
小寺 同じ方向に向いて、同じスタートラインに立ったというような感じかな。同じような立場の人たちに対してもそうだけど、立場を超えた人たちに対しても、「一緒にがんばりましょう」っていえたらいいな、と思うことが多いよ。
久保 改めて思うと、大きな言葉だよね。私たち福祉施設の職員として、利用者の方々へ伝えていきたい言葉の一つです。小寺さん、この3回どうもありがとうございました。次回は場所を変えて、『裏 興味 心・深』と参りましょうか。