このコーナーの第2回でご紹介した和田伸也さんが、この夏に世界中をわかせた、あのロンドンパラリンピックに出場されて、見事m銅メダルを獲得されました。
帰国されてから超ご多忙な和田さんに、ご無理をお願いして、当ホームページに体験記を頂くことが出来ましたので、ここに特別編として2回に亘り掲載を致します。

<前編>

*
<選手団の皆さんとともに(後列左から3人目が和田さん)>

 本年8月29日から9月9日まで開催されましたロンドン・パラリンピックの陸上競技に初出場してまいりました和田伸也です。まず、出場3種目の結果を以下にご報告させていただきます。

  • T11(全盲クラス) 男子1500m 8月31日
    4分18秒71 7位予選落ち 自己新&日本新
  • T11(全盲クラス) 男子5000m 9月7日
    15分55秒26 3位銅メダル 自己新&日本新&アジア新
  • T12(弱視クラス) 男子マラソン 9月9日
    2時間40分08秒 5位入賞 セカンドベスト

1 3週間の滞在となったロンドン・パラリンピック

 8月23日に成田からロンドンへ出発し、帰国したのは9月12日でしたので、ロンドンでの滞在期間は3週間ほどとなりました。ロンドンは夏といっても、蒸し暑い日本とは異なり、大変涼しく、朝などは寒い日もあるくらいでした。早朝は10℃を下回る日もありました。日中気温があがっても20℃ちょっと、湿度も低く、長距離種目には絶好の気象コンディションでした。

 晴れる日が少ないと言われるロンドンですが、私が出場した3種目の時はすべて快晴でしたし、大会期間の後半はずっと雨も降らず、調整練習もスムーズにいきました。また、現地入りしてから体調もよく、選手村の食堂でも現地スタッフの方々がおいしい食事を用意してくださり、大変感謝しています。時差ぼけも数日で解消し、睡眠もしっかりとれ、日本チームのスタッフの皆様のおかげで、競技に集中できる環境を整えていただきました。トレーナーの皆様にもコンディショニングと治療でお世話になり、大変感謝しています。

 そうしたよい環境の中、調子はぐんぐんあがり、最初の種目の1500mで絶好調でレースに挑むことができました。1500mの予選は、8月31日11時22分スタート、私は2組目でした。14人エントリーがあって、予選は2組に分かれて行われました。

 結果、決勝には6人しか残れませんでしたので、私は7番目のタイムで予選落ちでしたが、自身の持つ日本記録をまた更新することができ、5000mに向け、かなりよい刺激となりました。1500mは、ここ1年半くらいで取り組んできた種目でしたが、順調にタイムを伸ばせて、調子のよさを確認できました。

2 5000mにかけた思い

 私の専門はマラソンですが、その得意のマラソンを封印し、最もメダル獲得可能性の高いと思われる5000mにしぼって、この間、計画的にトレーニングしてきました。伴走してくださった中田崇志さんには、トレーニングのアドバイスをいただいたり、日本盲人マラソン協会の日本代表チームの強化合宿と、それ以外にも、直前には週末ごとに北海道などで個人合宿をしていただいたりと、二人三脚で5000mのメダルを獲得するためにがんばってきました。

 1500mから中6日でレースを迎えられ、しっかり調整する時間もあったことも大変よかったと思います。1500mの時以上に調子があがり、絶好調でした。

それでいて、興奮しすぎてつっこむこともなく、序盤は冷静にレースを進め、自分の設定ペースを守っていけたのが勝因だったのかなと思っています。

 5000mの決勝は、9月7日19時55分スタートでした。エントリー数は13人、世界ランキングでは、私は10番目でした。1週76秒、1km3分10秒ペースで走ろうと考え、最初は順位を気にせず、自分のリズムを大切にし、後で落ちてくる選手を拾っていけばよいと考えていました。それがイメージした以上によい展開でレースが進んでいき、最初は後方に位置していたのが、中盤からは3位集団にぴったりつくことができ、これは銅メダルが狙えるぞと思って走っていました。

 中田さんの的確な情報提供により、こうした状況も冷静に把握できたわけですが、8万人の大観衆のものすごい歓声の中で走っていますので、周囲もかなりエキサイトしていますし、そんな中で走りながら大きな声を出し、私にいろいろ伝えていただくのは大変だったかと思います。スタートから位置取りも完璧で、レース展開を的確に判断し、素晴らしく冷静な伴走をしていただきました。

 ラスト1000mくらいは、前のケニア人選手との一騎打ちになりました。彼は、私が後ろについていることを嫌がったのか、中盤から4000m付近まではペースを落としてくるという駆け引きをしてきたわけですが、彼の前には出ず、ぐっとこらえて、彼の真後ろにぴったりとつき続けました。私が前へ出ないので、彼はラスト600mくらいから早い目にスパートをし始め、スピードがあがりました。私との差が若干開きましたが、中田さんとは、スパートはラスト300mからと決めていましたので、5mほどの差をキープしながらついていきました。

 それは、直前の合宿でラスト300mからのスパート、バックストレートから一気にペースをあげる練習を繰り返ししてきましたので、本番のレースでもどんな順位にいても、どんなレース展開でも、そうしようと約束していたということです。それが完璧なレース展開、メダル獲得のための最高の展開でした。あとはラストで前の選手を追い抜くだけと心を強く持ちました。

 ラスト400mで残り1周の鐘を聞き、前との差は5mほどの差のままでついていけています。そして、バックストレートに入り、いよいよ約束のラスト300m。一気にギアを変え、前のケニア人選手との差がつまってきます。

 「つまってる、つまってる!」との中田さんの声。

それでますます気合が入り、バックストレートからカーブに入るラスト200mでぴったり後ろにつけた時には、一気に追い抜いてしまおうと、体全体に更に力をこめました。

 すると、カーブの頂点にきたくらいのところで並び、相手の息遣いが私にも聞こえ、様子をうかがえました。

 「並んだ、並んだ!」との中田さんの声。

 カーブで追い抜くのは外を回ることになるので不利にはなりますが、こちらの方が勢いがあるということで、一気に追い抜き、一気に突き放してやろうと、また更に力をこめ、「絶対につかせないぞ、メダルを取るんだ!」と必死のスパートをかけました。

 ラストのホームストレート、ケニア人選手の息遣いも聞こえなくなり、突き放せたなと思っていましたが、

 「勝った!勝った!!」との中田さんの声。

 これで、相手を突き放せてることを確信し、あとはちょっとでも速くフィニッシュすることだけを考え走りました。

 銅メダル獲得のフィニッシュ!!最高に気持ちよかったです。夢の大舞台で、最高に絶好調で駆け抜けることができ、そして、タイムも国内のレースで何度も壁となってきた16分切を達成しての日本新記録、それがアジア新記録でした!完璧なレースをすることができ、最高の結果を残すことができました。

*
<伴走の中田さんと歓喜、感激のガッツポーズ>

3 3種目ともにすべて想定していた以上の最高の結果に

 5000mの二日後には、マラソンが予定されていました。マラソンは、9月9日の8時スタート…。中1日、こんなに短期間にマラソンを走るのは初めてでした。
不安いっぱいでした。とにかく5000mに集中していたので、マラソンのことは何も考えていませんでした。

 5000mのメダルセレモニーを終え、選手村に帰ってきたのは夜中の12時前。体は疲れてるはずなのに、食事をして空腹を満たし、シャワーを浴びてベッドに横になっても、まだ興奮していて、全く寝付けません。中田さんも同じだったみたいで、夜中に自室でレースのことを振り返って、ほんと完璧だったと喜びを分かち合っていました。結局、朝まで眠れませんでした。

 翌日、疲れからか、ちょっと食欲が落ちて、まともに食べられたのは夜ご飯の時でした。腿やおしり、腰は筋肉痛ですし、マラソンを走るにはかなりの悪条件です。こんなにコンディションの悪いマラソン前日は初めてでした。完走すらできないのではないかと、嫌なことばかりが頭を過ぎりました。

 スタートの5時間前、朝3時には起床し、食事をしてコンディションを整えるという、いつもマラソンレースに挑む時と同じ流れでスタート地点に向かったわけですが、前日からの寝不足で体が疲れていますし、筋肉痛はちっともましにはなっていませんし、どうしようかと呆然としていました。

 そんな時、マラソンの前半20Kを伴走してくださった志田淳さんと、中田さんが言ってくださったことは、

 「銅メダルがあるんで気楽にいきましょう。別に棄権してもいいので。ただ、応援に来てくれてる人のためにも少しでも長く走った方がいいので、元気な状態で20Kの交代地点にいけるペースでいきましょう。」

と励ましてくれました。

 いつ足がつってしまうか、どこまで走ることができるのか、不安だらけのスタートでしたが、スタート時間が近づいてくると、徐々に集中力が高まり、直前になってやっと、何とかいけるかなという気持ちに少しはなってきました。アップも少しだけにして体力を温存しました。

 いよいよスタート時間がきました。エントリー数は19人でした。いざスタートすると、先頭集団で速くいく人たちは一気に前へいきます。第2集団も少し前方にいて、おいていかれています。まあ、他人はほうっておいて、自分のペースを刻んでいき、ロンドンの観光名所を大きくぐるっと3周するコースを楽しみながら走ることを心がけました。どのくらいのペースかよく分かってはいなかったですが、可能なペースで、それでいて気持ちよくリズムで走ることだけに集中しました。

 そうして走っていると、20Kの交代地点にきて、中田さんに伴走交代する時にもまだ元気、タイムも中間点を1時間20分18秒で通過でき、まずまず。30K地点、あと1周というところになってもまだ元気でした。

 「これはいけるんやないかな。」

と思い始めましたが、35Kまではとりあえずこのリズムのままいこうと思って走っていました。

 終盤になって、気温が少しあがって暑くなってきたせいでしょうか、かたい路面で足にダメージがきているせいでしょうか、前半1周目に飛ばしていた選手たちがどんどん落ちてきて、気がつけば、8位を走っていました!!目標にしていた入賞圏内です。驚きました。1周目は12位・13位あたりだったのに。

 35K以降は、昨年の福知山マラソン(ロンドンパラリンピック予選会)の時と同じくらいのペースで走れ、やっと足が動いてきたかなという感じになりました。

この時点で6位にあがっていました。35Kからの5Kは体もよく動き、いい感じで、40K手前で、前にいる5位のポルトガルの選手との差が30秒弱だとわかりました。

 「よし、ここでレースをおもしろくしてやろう!」

と、40Kを通過してから一気にペースアップ!!前の選手との差をぐんぐんぐんぐん縮めて、ついにゴール400m手前で抜き去り、5秒差をつけてフィニッシュ!!ロンドンでの最後のラストスパートだと思い、気合十分、よく足が動いてくれましたが、今度は呼吸がむちゃくちゃ苦しくなり、すべて出し切って完全燃焼での5位入賞でした!!40Kからフィニッシュまでは、この区間の自己ベストの7分25秒をマークすることができました。

 スタート前、不安いっぱいだったマラソンも最高の結果を残すことができ、結局、1500m、5000m、マラソンと出場3種目、夢の大舞台ですべて絶好調で駆け抜けることができました。

*
<殊勲の銅メダルを胸に仲間の皆さんとともに>