はなのぼう 2007年4月号
今月のトップニュース

この4月から、6校の「盲学校」の名前が変わりました。付属盲は筑波大学付属視覚特別支援学校に、熊谷盲は熊谷理療技術高等盲学校に、横浜市盲は横浜市立盲特別支援学校に、兵庫盲は兵庫県立視覚特別支援学校に、淡路盲は兵庫県立淡路視覚特別支援学校に、広島盲は広島県立広島中央特別支援学校に、とそれぞれ名称が変わりました。

戦前は多くあった盲ろう学校が戦後に盲学校とろう学校に分かれて60年、慣れ親しんできた「盲学校」の名称が消え始めました。

いま、養護学校は支援する障害の種類が拡がり重度障害児も増えて先生不足となってきています。でも、盲学校は対象児童が年々減少し、「障害の種類を超えて」様々な障害児を扱うことも多くなってきました。

そして、「盲、ろう、養護」のような障害区分から個々の支援を中心に、という動きが顕著になって、名称も「支援学校」が増えてきました。特に京都市では全国的にも早くから「北」「西」「呉竹(くれたけ)」など新設置も含めて「総合養護学校」となり、障害の区分を超えて地域の学校に通える体制が作られてきました。

重要な専門研修についても、例えば国立特殊教育総合研究所では3ヶ月の視覚障害関係研修を行なっていて私は「専門点訳」の講義を受け持っていますが、京都市の総合養護からは毎年一人は派遣され、取り組みが強められています。

でも盲学校においては、このような動きへの対応はそこまでいっていないところが少なくないようです。最も重要な盲学校の役割は、「視覚障害の専門性を十分に発揮する」ことだとよく言われています。でも、視覚以外の障害のことを学習することも必要になっていますので、「盲学校」のままがよい、というわけではありませんが、「支援校」に名称が変わっていくにつれて、「視覚障害の専門性」はどうなっていくだろうか、と不安を感じています。