鎌倉と藤沢をつなぐ江ノ島電鉄の沿線に「腰越(こしごえ)」という所があります。

今の時季なら、生シラスがおいしく食べられることで知られています。

吾妻鏡によれば、元暦(げんりゃく)2年(1185年)5月、この地から一通の手紙が送られます。差出人は源義経。宛先は兄の源頼朝。世にいう「腰越状」です。義経は平家打倒後、後白川法皇から官位を受けますが、これに頼朝が激怒。慌てて釈明に鎌倉へ向かうもここで足止めされ、やむなく書面で心情を綴りますが対面は許可されず京に戻ります。その後この兄弟は二度と顔を合わすことはありません。

頼朝にとっては平家滅亡後、朝廷がもつ人事権に制約を加えるなど着々と武家政権づくりを進めており、朝廷から勝手に官位を受けるなどもってのほか。頼朝の人事権への思い入れや政権構想を理解せずにいた義経にとってこの任官が、その4年後、奥州平泉で迎える壮絶な最期につながっていきます。

こうした兄弟の確執話は洋の東西を問わず神代の昔からあるようで、日本ではアマテラスが天の岩戸に隠れたのは弟スサノオとの喧嘩がきっかけであり、また西洋では旧約聖書のカインとアベルの話など、神話や歴史をふり返ればゴロゴロ出てきます。

応仁の乱。京都の町を灰燼にしたこの大乱もその発端は各氏の小さな家督争い・兄弟喧嘩です。兄弟レベルなら収まりがついても取り巻き連中が絡んでくると手がつけられなくなるようです。

この類いの話、ほとんどが悲劇的な終焉を迎えますが、物語としては結構楽しめます。興味のおありの話があれば、情報ステーションまでどうぞ。

(五十嵐 幸夫)