P1 創立50周年を迎えて 理事長 西 晴行  おかげさまで、本年、京都ライトハウスは、創立50周年を迎え、去る6月26日には、これまでお世話になりました方々に感謝状あるいは表彰状をお贈りし、感謝の気持ちをお伝えする記念式典を執り行うことができ嬉しく思っています。  京都ライトハウスは、鳥居 篤治郎先生を初めとする関係者の「京都に盲学生のための点字図書館を」という願いと、10年に及ぶ資金集めの努力が結実して、昭和36年に誕生しました。落成式の挨拶で、初代館長 鳥居 篤治郎は、「ここは私たち盲人のための、京都におけるオアシスです」と高らかに宣言されました。  それから50年。点字図書館から始まった事業は、生活訓練事業、盲人養護老人ホーム、視覚障害児療育訓練事業と拡大し、今日では、障害のある人の相談、デイサービス、就労支援などにも取り組む総合施設となりました。  50周年を迎え、京都ライトハウスの本旨を見失うことなく視覚障害者の灯台として光り続けられるように、また、障害者福祉増進の一翼が担えるよう、先人たちが育んでこられた歴史を受け継ぎながら、常に当事者のニーズに応えていける京都ライトハウスで在り続けられるよう、心新たに取り組んでまいる所存です。  物心両面で京都ライトハウスを支え、利用者の方々を支えてきていただいた皆さま無くして、視覚障害者の灯台であり、オアシスでありたいという私たちの事業は成り立たなかったものと、改めて心から感謝申し上げます。引き続き、ご支援ご指導賜りますようお願い申し上げます。   P2.3 先・人・に・学・ぶ 「盲目は不自由なれど 盲目は不幸にあらずと しみじみ思ふ」という言葉は、京都ライトハウス創設の中心として活躍された鳥居 篤治郎氏が述べられた言葉です。  おそらく、来館された皆さまには、どの職員からも必要に応じてお伝えさせていただいたのではないでしょうか。“視覚に障害がある”ということの本質にふれる言葉であることを理解していただけたと思います。  また、本年が法人創立50周年にあたり、記念誌には業績などが掲載されていますが、日ごろの人柄はどのような方だったのか、鳥居 篤治郎氏の著書『すてびやく』を読み返しましたところ、印象的な記事がありましたので、抜粋してご紹介したいと思います。 (故:鳥居 篤治郎氏、伊都夫人) ◆『結婚生活50年』  貧乏暮らしの苦労はあっても、妻は一言の不平も言わず、昼夜のわかちなく私に奉仕していてくれます。それが今日まで五十年間続いたと言うことは、実にすばらしいことだと思います。全く有難いことです。  私は男として妻を誉めることのくすぐったさを、抑えることが出来ませんが、とにかく誇りたいような気持がします。妻としても、盲人に嫁してその目となり手足となって来た五十年は、平凡に幸せに良家の主婦となったよりも、むしろ生き甲斐があったことでしょう。身勝手ながら、私はそう思いたいのです。あなたの目を、あなたの手を、ほんのちょっと貸して下さい。そうすれば、盲人がどんなにか助かることでしょう。  目が見えなくとも、大抵のことは工夫と練習でやってゆけます。もう駄目だと、諦めるほどつまらないことはありません。頭ですることなら、勿論何のハンディキャップもなく出来ます。だが、身のまわりの日常生活では、見えないと色々不便不自由があります。  例えば、はがき一枚さえ、誰から来たのか分からない。回覧板がお隣りから廻って来ても、読めない。着ている着物の、色や柄がわからない。どのネクタイが似合うのか、他人の目で判断してもらわなければならない。知らない道は、歩き難い。交叉点を渡るのは、命がけだ。だまって会釈されると、相手が誰だか見当がつかない。点字にするかテープに吹き込まなければ、思うように読みたい本も読めない。あわてると、紙幣の見分けが難しい等々。  このような苦労も、なんとかして克服出来るとしても、ほんのちょっと目を貸してくれる人があったら、どんなに便利で幸せかしれません。生き甲斐のある人生とは、こうした盲人への協力と奉仕にあると、妻が言ってくれます。  ところで、お互に人生は辛くとも、悲しくとも、「明るい」と信じたいものです。  五十年の体験を通じて、ようやく今、そんな境地に落着いている自分たちを、みつめています。 (婦人生活 昭和四十年三月号 話の広場より) ◆『父の思い出』  私の目が悪くなった時、父はまだ数え年で二十五才の青年でした。それから七、八年、私が京盲注1)に入学する頃までの父は、ずっと病身で、時には海岸へ転地したり、商売の暇を作っては魚釣りに出掛けたりしていました。  父は、出来るだけ何処へでも私を連れて歩きました。魚釣りや、山や田の見廻りや、時には村役場へも連れて行ってくれました。こうして人中へ出る稽古をさせてくれたのです。そして、何でもよくさわらせてくれました。お宮へ参ると、先づ鳥居から狛犬、鈴とさわらせて、拝殿へまで上って行き、内陣の扉や彫刻までさぐらせてくれました。 このように何でもさわってみた事が、私のその後の勉強のために、どれだけに役立ったかは、今思ってみても父はよい先生だったと思います。  とりわけ、私が今でも有難かったと思います事は、父が私を一人前の子供として、人前で扱ってくれた事です。片輪の子供を持つと言うような卑下の感じは、全然私には感じさせませんでした。  ところで、私が盲学校に入って以来、父はすっかり健康になりました。おそらく私に対する心配が薄らいだからだったのでしょう。それを思うと、私は親不孝な子だったと思います。  私が京都の学校へ入ってからも、父は出来るだけ機会を作っては、私を芝居見物に連れて行ったり、博物館へ行ったり、時には手品や相撲を見にも連れて行ってくれました。どんな事でも、実際にその場へ行って経験するのが、一番大切な事だと考えていてくれたのでしょう。全く父には感謝の外ありません。  お陰でその頃の私は、のびのびと自由な日々を過ごすことが出来ました。夏休みに家へ帰りますと、早速に大工道具を持ち出して鼡捕りをこしらえたり、草花を植えたり、魚を捕りに川へ行ったり、そんな事ばかりしていました。その代り、手も足も生傷の絶えた事がなかったそうです。  竹馬を作って川の中へ乗り入れたり、屋根へ登って雀の巣をとったり、そんないたずらの限りを尽した事が、私の一生にどれだけプラスになったか、計り知れないと思います。 (京盲PTA通信 昭和三十一年七月) ◆『ざくろ』  西日の差す縁側へ、母がちょっと来いと私を呼んだ。何事かと思って、出て行って見ると、手洗鉢の上へ差し出たざくろの一枝の、実の鈴なりになったのを、手に持たせてくれた。  「お前に見せてやろうと思って、此処だけは取らずにおいた」と、母が言うのである。  「自分でもいで、食べるがいい」  母は更に付け加えた。  私は、思わず母の心根に涙がにじんだ。五十になる我が子に対する母の愛は、今もかく暖いままだったのである。思えば私は、こうして育てられて来たのだった。限られた時間内に、限られた材料を手に触れさせてくれる、盲学校の授業とは大分に違う。  亡くなった父も、秋になると私の手を引いて、よく田圃の見廻りに連れて行ってくれたものだった。ばったを掴んだり、いなごを捕えては、私にさわらせてくれた。道を歩くときは、必ず広告や看板を、歩きながら読んでくれたものだった。めくらの子を持つ親の心根が、どんなに細やかな、そして暖いものであるかを、ますます深く噛みしめる今日この頃である。 (仏眼 昭和十八年十月号)  「結婚生活50年」の記事からは、互いを個人として尊重し、夫婦であり最良のパートナーとして固い絆で結ばれていることがとても印象に残ります。また、「父の思い出」「ざくろ」からは、どのような状況でも揺らぐことのない愛、親としての責任や子を想う優しい気持ちが伝わってきます。  「家族」や「夫婦」という結びつきを通して、純粋にありのままの相手を想う、あたたかで豊かな関係を育んでこられたからこそ、鳥居氏の周りにはいつも人と人との強く明るい絆があったのではないでしょうか。その絆こそが多くの人を動かし、やがては歴史を動かす原動力となっていったのでしょう。  「人の絆」の持つ力が大きく取りあげられている今日、ハンディがあってもなくても変わらない大切なことを、先人・鳥居 篤治郎氏は教えてくださっているように思います。 注1)京都府立盲学校 ※文中に不適切な表現がありますが、原文に基づき掲載しています。   P4 50周年記念式典 第1部  真夏日となった6月26日、4階ホールにおきまして、社会福祉法人 京都ライトハウス50周年記念式典を、約200人のお客さまを迎えて、盛大に挙行いたしました。開会に先立ち、筝曲によるオープニング演奏を京都府視覚障害者協会音楽部の皆さまに飾っていただきました。そして、3月の東日本大震災で犠牲になられた被災者のご冥福をお祈りし、黙祷を捧げました。  式典では、京都ライトハウスの西 晴行理事長の挨拶、桜庭 修理事の基調報告、神谷 俊昭事務局長から「京都ライトハウス理念」についてご報告をいたしました。続いて感謝状・表彰状の授与に移り、103名の個人・62団体の皆さまに感謝状をお送りいたしましたが、式典では代表して中村 安良様・岡 ちか子様、株式会社エーディックス(代表取締役・佐野 秀男)様・点友会(代表・石津 利幸)様にお受け取りいただきました。また永年役員の表彰は6名の受賞者を代表して、大橋 東洋彦様にお受け取りいただきました。  続いて、ご臨席いただきました多くのご来賓の中から、京都府知事 山田 啓二様、京都市長 門川 大作様、全国盲老人福祉施設連絡協議会会長 本間 昭雄様、京都府視覚障害者協会会長 内野 正光様からご祝辞を賜り、ご来賓の紹介の後、お寄せいただいた祝電をご披露して、第1部の式典は終了いたしました。 第2部 記念コンサート  第2部は、「京都市立芸術大学卒業生による記念演奏」が行われました。  最初の舞台は、久場 夏子さん(メゾソプラノ)の独唱。あいあい教室の卒園生でもある久場さんは、京都市立芸大音楽学部 声楽専攻を卒業後、ソロ活動やアンサンブル、合唱にも意欲的に取り組むほか、作曲活動も行っておられます。ピアノ伴奏の佐渡 春菜さんは、京都市立芸大音楽学部 ピアノ専攻を卒業され、京都子どもの音楽教室常勤講師など、広く活躍されておられます。曲目は、シューマンの歌曲集『ミルテの花』より「献呈」のほか「浜辺の歌」、「夏の思い出」など、お二人の素晴らしい演奏で、会場は華やかな雰囲気に包まれました。  後半は、フルート:津田 千里さん、ヴァイオリン:白水 響子さん、ヴィオラ:三宅 恵さん、チェロ:石塚 俊さんによるアンサンブルをお楽しみいただきました。曲目は、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』より「花のワルツ」のほか、アンコールでは「世界に一つだけの花」を演奏していただき、美しい音色の演奏に会場全体がしっとりと包まれました。  ご出演、ご来場いただきました皆さま、本当にありがとうございました。 P5 50周年によせて〜ボランティアさんからの声〜 永年にわたり、ライトハウスに貢献していただき今回感謝状をお贈りいたしました方々から、お言葉をよせていただきました。 点訳・その他ボランティア      野村 加代子  平成23年6月26日に行われました、創立50周年記念式典にご招待を受け、出席させていただきました。10年前の40周年の式典より「区切り」のような緊張感がありました。はじめて点字を習ってからこんなに長く、点字との付き合いが出来た事に自分でもビックリしています。今日まで多くの方々にご指導をいただきました事に感謝し、この場をお借りして心からお礼を申し上げます。  自分の認識不足もあったとは思いますが、点字になじむ事が一般的でなかった頃に比べ、今は随分身近に点字が普及しているように思えます。今、鳥居寮で中途失明の方の「点字の学習」のサポートをお手伝いしていますが、触読の大変さを感じるとともに、点字が正しく、きれいに書けていなければ、読みにくい事を認識しながら、これからも点訳をしていきたいと思います。  これから先、点訳以外のボランティアも含め、「出来る時に、出来る事を…」をモットーにライトハウスと関わっていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 P6 音訳ボランティア・音訳講師 堤 明子  このたび、社会福祉法人 京都ライトハウスが創立50周年を迎えられました記念式典で、多勢の皆さまとともに感謝状を頂戴いたしましたこと、誠に有り難く、心からお祝いとお礼を申し上げます。私の生涯記念すべき年になりました。  思えば、次男が小学1年生になって、まとまった時間がとれるようになった頃、朗読奉仕者募集の記事が目に止まりました。読むこと、話すことの好きだった私が早速応募したのが第一歩です。その後日本ライトハウス、東京都立中央図書館などを経て、昭和62年に京都へ帰って来た私は、金閣寺近くの社宅からすぐ近くに在る、旧交通局病院跡の懐かしいあのライトハウスを訪れ、ボランティアとして通うことになりました。若い時には、夏に伏見港公園プールで視覚障害者の皆さん達と水泳介助者(東京YWCAで技術取得)として一緒に泳いだことも今となっては懐かしい想い出の一つです。  声のボランティアは、私の人生そのものだったと言えます。私の日常生活にいつの間にか自然に組み込まれていました。  声に出して読むことがそのまま人さまのお役に立つ、情報が多くとび交うこの時代「本を読む喜び」を分かち合いたい。読みたい本がより正確に提供できるために技術を向上することを願い、また視覚障害者の読書環境を良くするために、私達ボランティアは謙虚に努力すべきだと思っています。  お仲間の皆さん、ご一緒に続けましょう。 京都産業大学 新社会ボランティアサークル 2011年度リーダー   上原 直人  僕が新社会ボランティアサークルに入って、京都ライトハウスと船岡寮でボランティアをして2年目になります。特に船岡寮での活動でいろんなことを学びました。船岡寮の寮生さん達と喫茶の活動を通じて関わっている時、最初の頃は寮生さんとお話する時に緊張して上手く話せませんでした。しかし船岡寮の寮生さんの元気で優しいお人柄のおかげで、すぐに打ち解けることができました。そしてお部屋にお送りしたときに、「来週も楽しみにしてるで」と言ってくださった時は、「ここで活動できて本当に良かった」と思いました。ここで学んだ一番のことは、人の優しさと、人と関わることの大切さだと僕は思います。これからも寮生さんにとって身近な存在として活動していきたいです。 P7 みなさまに感謝をこめて ありがとう50周年 永年、ライトハウスとともに歩んできた 施設長よりひとこと <船岡寮 寮長> 伊藤 康子  これまでに200人を超す利用者との別れを繰り返しながら、船岡寮も私も年を重ねてきました。ほんの10年前には「昔はよかったな。のんびりしていて」って、利用者との会話にあったことを思い出します。  今では「のんびり」が想像すらできない職員と利用者がほとんどになりました。でも職員はその気持ちをとても大切なものだと心にいつも持ちつつ、利用者と接してほしいと思うのです。 <鳥居寮 所長> 牧 和義  ライトハウス50年の歴史の中で、気づけばその半分以上の年月をともに歩ませていただきました。今日、物質的な豊かさを求める社会という傾向が強くでていますが、訓練で関わる多くの皆さまは、まず、精神的な支柱を立て直し、これからの人生設計をしていこうとする点で、自分の身を洗われる思いがすることもしばしばあります。生きること、働くことの原点をこれからもともに考え、次の世代に伝えていきたいと思います。 <FSトモニー 所長> 高橋 一夫  50年前、小学1年の私にとって、自転車なら5分でやって来られた千北は、越えてはならない「校区外」であったのに、今では毎日やって来て、人生の半分を超える年月が過ぎていきました。もし、あの1年生坊主がお叱りを覚悟して、開所を祝う現鳥居寮を覗いてくれたならば、「盲目は…」と点字打つ鳥居先生にお会いできたのにと、しみじみ思います。 <情報製作センター 所長> 渡辺 昭一  「何かよい受験参考書はありませんか?」  1974年、初めて京都ライトハウスを訪れて、点字図書館でお聞きしたことでした。当時、大学の点字受験を目指していた私は、点字や録音の参考資料を探していましたが、全くありませんでした。入学後も、種々の資料を入手するために、手打ちの点訳より早い対面朗読やプライベート音訳で、随分お世話になりました。今はインターネットの利用やパソコン点訳の普及、OCRを用いたテキスト化、さらにデジタル録音技術の進歩によって、情報入手の状況は様変わりしてきています。そのような状況の変化のなかで、京都ライトハウス50周年を迎えた今日、視覚障害者に役立つ情報ツールとしての点字の意義を広く訴えながら、情報製作センターの事業展開を展望していきたいと考えております。  今後ともよろしくお願いいたします。 P8 <事務所 所長> 山本 たろ  私は1959年生まれで、ハウスとほぼ同い年です。ここで30年弱働き続けて、50周年という大きな節目に立ち会えて、それをお祝いする各企画に携わっていられるということは本当に感無量です。次の60周年を盛り上げてくれそうな若い力をあちこちに感じながら、百寿まで健康で文化的に生きていれば、100周年も一緒に祝いたいなあと思っています。 <あいあい教室 所長> 橋 弥生  父は52歳で交通事故に遭い半身不随となった。その治療で出会ったのが鳥居 篤治郎先生であった。人一倍元気な92歳の母が、鳥居先生との出会いを今も誇らしげに話している。私は、生前の鳥居先生は知らないが、いろんな縁があってこのライトハウスに勤務して30数年が経つ。  あいあいの親子に出会い、時にはともに涙し、ともに笑い、時にはお母さんのお尻を叩き、子ども達の成長を喜び合ってきた。50年の節目に出会えたことを誇りに思う。  愛すべきライトハウス、そしてあいあい教室、これからも心の灯台として輝き続けてほしい!!   <情報ステーション 所長> 田中 正和   「肝心なことを言い忘れた          定年退職の日の挨拶」  2010年3月に定年退職を迎え、その日の挨拶で笑いを取ろうとしたあまり、大事なことを言い忘れ未だに悔やんでいます。しかし、今に始まったことでもなく、上手くできなくても自分を責めるのはやめよう、自然体でいこうと思うようになりました。  その大事なことというのは、職員の皆さんに感謝の気持ちを伝えたかったことです。定年を迎えることができたのは、導いていただいた良き先輩がおられ、言いたいことを言い合える同僚がおり、信頼し頼ってくれた後輩がいたことが自分を成長させてくれたと思います。皆さん、ありがとうございました。 <らくらく所長> 村山 京子  私は約30年前にライトハウスの一職員となり、「船岡寮」で介護業務と相談業務に従事した後、「らくらく」に異動となり現在に至っています。この間、利用者の皆さまからいただいた宝物は私の大きな財産となり、今もずっと笑顔で支えてくださっていると感じることの多い毎日です。  創立50周年を迎え、人生という海を渡る視覚障害者の行く手を示す灯台として、これからもさらにその役割を担い深めていく道のりが続いているのだと考えると、身の引き締まる思いがします。 P9 2010年度 京都ライトハウス決算報告 P10 ほうこく ■創立50周年記念バザーご報告 収益 259,170円!  梅雨の晴れ間となった6月4日、京都ライトハウス創立記念バザーを開催いたしました。当日は大勢のご来場で賑わい、昨年を上回る収益を上げることができました。これもひとえに、ご協力いただいた利用者やボランティア、そしてご来場いただいた皆さまのおかげです。  また、併せて開催した体操教室「ストレッチ・いきいき筋トレ」では、他の体操教室からお越しになった方もおられ、健康への関心の高さを伺わせました。  今回の収益金は、東日本大震災で被災された視覚障害者の方々、視覚障害関連施設などへの義援金として、日本盲人福祉委員会に寄付させていただきました。  ご協力、誠にありがとうございました。 おしらせ ■京都ライトハウス 法人役員人事  当法人役員の任期が2011年5月29日をもって満了となることに伴い、5月27日に開催された評議員会において、下記の方々が新しい理事及び監事に選任されました。また、評議員会に引き続いて開催された理事会において、下記の方々に評議員を委嘱することを議決し、全評議員の就任承諾を得ました。  理事長には西 晴行理事、副理事長には竹下義樹理事を引き続き選任いたしましたので、ご報告申し上げます。  なお、新役員の任期は2011年5月30日から2013年5月29日までです。 <理 事>※理事は評議員を兼務 内野 正光、加藤 博史、櫻庭 修、佐々本 研二、竹下 義樹、田尻 彰、中井 豊、西 晴行、神谷 俊昭 <監 事> 中橋 彌光、清水 久雄 <評議員> 青山 芳文、一谷 孝、伊東 宏、糸数 三男、大須賀 秀雄、大橋 東洋彦、梶 寿美子、公文 茂人、白畠 庸、鈴木 紘一、中澤 眞佐、原山 憲治、森 貞子、安邨 洋一 ■次の通り、職員人事を行いましたので お知らせします。 【採 用】2011年6月1日付  船岡寮  看護師     河村 明美 【退 職】2011年6月30日付  鳥居寮          宮江 真矢 ■夏期休館のお知らせ  京都ライトハウスの夏期休館は、次の通りとなっています。休館中は宿直および日直も不在となりますのでご注意下さい。  大変ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。 P11 ■福祉関係者向け研修会  「視覚障害者が求めるものとは?     〜知って役立つ支援のポイント〜」  見えない・見えにくい方への必要な支援について一緒に考え、日々の実践に役立てられるよう、視覚障害についての基礎的な知識や対応方法を学ぶ研修会です。 日 時:2011 年9月12日(月)     10:00 〜 16:00(9:30 受付) 会 場:京都ライトハウス 定 員:25名 費 用:3000 円(昼食代込み) 申込締切:8月31日(水) 申込・問合せ:京都ライトハウス        相談支援室「ほくほく」 TEL 075-451-4555 FAX 075-451-4488 E-mail:hokuhoku@ymail.plala.or.jp ■京都府視覚相談会のお知らせ  見えにくさによる生活の相談は、どうぞこの機会にご利用ください。 日 時:2011年9月20日(火)     10:30〜15:30 会 場:公立山城病院(木津川市)    ********************** 日 時:2011年11月17日(木)     11:00〜15:30 会 場:瑞穂保健福祉センター(京丹波町) 問合せ:京都府家庭支援総合センター     障害グループ     TEL 075-531-9608 ■第45回 白杖安全デーにご参加ください!  今回は一人で歩く視覚障害者にとって、周囲の方から声をかけていただくことが、安全に移動するためにとても大切であるということを多くの市民の皆さんに伝えたいと考えています。  当日はお誘い合わせの上、ぜひ多くの皆さまにご参加いただきますよう、よろしくお願いいたします。 日 時:2011年10月2日(日)     9:45〜12:00(予定) 会 場:JR二条駅 西側広場(Bivi二条側) 内 容:集会とパレード ※詳細については決まり次第、京都ライトハウスのホームページ等でお知らせいたします。 ■「京都ライトハウスまつり2011   〜地域とともに輝き続けて50年〜」  利用者、家族、ボランティア、職員と地域の交流の場となりますよう、ステージ発表や模擬店、抽選会などの催しを予定しています。  皆さまのご来場をお待ちしております! 日 時:2011年10月30日(日)     10:00〜16:00 会 場:京都ライトハウス 全館 ■京都ライトハウス創立50周年記念       フェニックス会 秋の集い 日 時:2011年11月13日(日)     10:30〜15:00 会 場:京都ライトハウス 4階ホール 主 催:フェニックス会 ☆13:00よりパネルディスカッション「中途失明!その時私は(仮題)」を行います。会員以外の方もぜひご来場ください。 ■京都ライトハウス創立50周年記念     第6回 うるおいのコンサート 日 時:2011年11月20日(日)     13:30〜 会 場:京都ライトハウス 4階ホール 出 演:コーラス「さざなみ」 客 演:土井 雅子氏(ソプラノ独唱) 主 催:コ−ラス「さざなみ」 ☆入場無料(要入場整理券) P12 おれい <このコーナーは、5万円以上のご寄付、ご寄贈いただいた方々をご掲載しています> 皆さまからのご厚志はライトハウスの事業運営資金として活用させていただきます。ありがとうございました。 ■永井 幸子様  3月3日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■八木 彌生様  3月4日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■井上 隆様  3月14日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■(株)アイベル様  3月15日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■洛星中・高等学校 オーケストラ部様  3月17日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■(財)京都仏眼協会様  3月24日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■竹田 町子様  3月30日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■青山 弘様  4月4日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■京都府視覚障害者協会様  4月4日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■梶 宏様  4月30日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■筝アンサンブルプリマルーチェ様  4月30日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■河村 つた子様  5月6日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■(株)サン工芸様  5月11日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■点友会様  5月27日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■中澤 眞佐様  5月27日 多額のご寄付を頂戴しました。 ■(株)わかさ生活様  毎月定期的に多額のご寄付を賜り、          ありがとうございます。 ■三菱電機(株)京都製作所並びに  三菱電機SOCIO−ROOTS基金様  液晶テレビ1台のご寄贈         ありがとうございました。 ご寄付ご寄贈ありがとうございます! 次の通り、数々のご芳志をいただきました。厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。 (50音順・敬称略) 2011年3月1日〜2011年5月31日 寄付金 71件 8,642,376円 物品寄付・ご奉仕 134件  【寄付金】 浅山邦夫、池田燎亮、諫早喜代、井村豊彦、上田徳重、大野ゑみ、梶寿美子、加藤博史、木村道子、京都から竹民謡会、京都市社会福祉協議会、京都府視覚障害者協会上京支部、木の芽京都句会、社会保険京都病院、新谷洋子、鈴木紘一、竹内花子、中野眼科京都駅前診療所、中橋彌光、中村純治、沼眼科、花岡美容室、ひまわり、丸清木材(株)、水野しづえ、宮崎重道、薮佳子、吉本亀代、楽友個人タクシー協同組合、匿名10件  【物品寄付・ご奉仕】 青山弘、芦田恵、あすなろ会、生島芙美江、池上明子、伊佐迪子、泉村照夫、五十川富士子、磯部治、一谷孝、伊藤治子、井上千恵子、井上正子、今村久美子、上田澄江、浮守篤子、内田主男、内田務、宇野史子、大前正治、大町寿美子、大町賢、大向久子、大目忠二・昌子、大森亮二、岡寛、岡ア克己、岡田幸子、岡田ゆき子、岡田よし子、岡野伊三郎、岡村美佐子、岡本綾子、岡本喜久穂、岡本喜代子、岡本タミ子、小川正義、小川祐一、荻野行正、沖本勲武、奥田千佳子、奥野正子、奥村久子、尾ア淳、尾嵜匡代、小笹次夫、小笹稔、長村貞子、長村美代子、長村陽子、小澤英明、小野大、面谷祐三子、海保睦子、影山五郎、籠谷信男、笠井貴美子、香西恵子、梶寿美子、梶宏、梶川医院梶川洋司、梶原健午、梶原清一、梶原テル、片岡聡、片岡須麻子、片岡典正、片岡晴夫、片岡泰子、片山典子、片山昌子、勝目紘、勝山靖雄、桂数毘詁、加藤恵美子、加藤静允、加藤進、加藤弘子、加藤博史、金居延子・朝子、兼田茂和、金田典子、鹿野幸子、狩野義子、(株)ヒトミ人見康裕、鎌田啓子、鎌田幸二、上京病院北原聖司、上口啓子、上参郷禮子、神城歯科医院、亀井保幸、(医)亀岡病院、蒲原孝、加舎房子、香山良樹、唐橋ミヤ子、川井清人、川合啓子、川合正子、川勝敏子、川勝玲子、川口洋志、川嶋憲治、河島浩三、河瀬修一、河内良弘、川野邦造、河原照二、川人雅弘、川邉美佐子、川又良也、川村春海、河村峯子、川本悦子、川本千春、河原林宏平、河原林弘美、神崎秀陽、木内芳子、木久茂、菊地貴美枝、菊地泰次、菊地寛子、木坂順一郎、岸陽子、岸本正子、岸本三代子、岸本良一、北川眼科医院北川厚子、北村佳子、喜多村敬三、北村繁、北村武司、北村初子、北村弘子、北村弘、北村浩尉、北村泰子、北村裕喜子、北村良子、吉川純弘、きつつきの会、木寺宏之、木下收、木村医院木村文昭、木村晴子、木村道子、木村保子、(株)京都銀行、京都第一法律事務所、京都トヨタ自動車レクサス北大路、京都むらさきライオンズクラブ、清本隆行、桐山まき子、九鬼國一、久坂夏子、串田壽明、九谷清盛、朽木久子、國重阿夜子、久野靖子、久保佳子、久保田美枝子、窪田洋子、熊田きぬ、久山眼科医院久山元、倉田京一、倉田時子、倉田嘉子、倉林明子、栗田やよい、栗原紀久、グループホーム寛寿庵代表井上綾子、黒河待子、黒中加代子、桑原美保子、小泉京子、(株)公益社、高阪昇、こうの眼科クリニック院長河野明美、合原秀子、光明幼稚園、神山貞子、古賀豊、小塩佳代子、小島一男、小島文夫、小嶋芳次、小久仁子、児玉五十美、児玉佳代子、小寺五十江、小寺啓介、小寺尉就、小西憲子、小西倫子、小林いつ子、小林志津子、(株)小林鉄工所、小林秀次、小林満男、小林光子、小林良平、小林ルミ、小槙紀、小牧誠一郎、駒崎陽子、小森修子、小藪忠志、小山菊弘・靖子、小山信一、小山弘、近藤文子、近藤美也子、崔秀賢、斉田律子、斉藤恵美子、齋藤富佐代、酒井明子、酒井克之、酒井清、左海祥二郎、酒井久江、酒井富美子、坂江節子、榊朗裕、酒徳元子、佐久間正雄、櫻田朋子、酒元直美、酒元人四、迫田周一、佐々江温子、笹川大助、佐々木敬介、佐々木陽子、笹田和子、佐々本研二、作花済夫、佐藤清子、佐藤順子、佐藤雄作、佐藤譲、佐藤洋子、佐野シゲ子、佐野瞳、佐野理恵、沢井智恵子、澤崎英子、澤田美智子、澤村千恵子、山藤芳野、塩川亥智、塩川朝子、塩崎英雄、塩田悦子、塩見章子、志垣惠子、四方幸枝、地蔵院、篠田泰明、篠原敏郎、芝恵一郎、芝田徳造、柴田弘次、芝山眼科芝山明子、渋谷健次、島岡医院、嶋田志保子、島田文子、清水國弘、下奥重望、下地幸夫、下薗栗子、下野眼科医院、庄野勇夫、城陽点字サークル「たんぽぽ」、白井良彦、白坂澄夫、新谷洋子、新野富貴子、菅井孝雄、杉浦洋子、杉本敬子、杉本康代、鈴木紘一、鈴木孝一、鈴木茂嗣、鈴木純子、鈴木つや子、鈴木f、鈴木初枝、鈴木昌子、須田嘉代、須藤敏浩、角喜代子、住谷高子、聖ヨゼフ医療福祉センター廣田陽代、瀬戸山恵、薗田香融、園田義次、薗部光子、大道日出野、尾幸江、木神経科医院、ア秀夫、島章江、高島文一、瀬史、田千代、田有基、田芳子、高谷久吉、高野光武、橋初枝、橋宏、高橋正昭、高畑恵子、高畠ハルミ、谷初子、高安文哉、滝井尚三、瀧本百合子、宅間英郎、武綾子、武居桂、竹井美津子、武内民男、竹内花子、竹内美紀、竹上医院竹上貞之、(医)竹下医院、竹下義樹、竹田純太郎、竹田俊男、武田文子、武田マスヱ、竹中ますみ、竹貫純子、竹野美智子、竹原平、武部啓、武部宏、竹村良三、田坂譲、田澤美津江、夛田敦子、多田悟司、橘洋子、巽友正、田中愛子、田中佐恵子、田中幸子、田中清次、田中セツ子、田中武、田中千代子、田中政勝、田中美千子、田中泰子、田辺誠子、谷乙弘、谷直介、谷道之、谷川正雄、谷川美恵子、谷川侑子、谷口久仁栄、谷口智慧、谷口眞理子、谷口鍼療所、谷村栄子、田畑悟、田端節子、田原和志、田原純一、田渕茂彦、田渕りさ、玉井義朗、玉田和江、玉本晃、田村敏明、田村裕二、溜池良夫、(株)淡交センター、NPO法人地域福祉創造協会ウインク、崔春夫、張文玉、築柴恵美子、辻亨、辻麻里、辻内信子、土田正、土田登美子、ツヅキオートサービス、堤明子、堤育子、堤江美子、堤清、つとう医院伝俊秋、出口京太郎、出口直子、(有)寺倉商事、寺田香代子、寺田陽子、点訳グループ宇治川、筒井弘一、道家惇三、土江田曜子、戸川啓、徳賀民子、徳田英子、戸田寛、百々眼科診療所百々由加利、戸部節子、冨井聡、富川義則・佳奈子、富田幸万子、冨田サダ子、富田隆介、富村保子、巴山昭二、鳥居光子、鳥飼幸子、鳥越吉郎、(株)内藤建築事務所、仲雅彦、永井幸子、中居茂雄、永井春彦、永井美知子、長柄明美、中江和子、中江利彦、中江美智子、長尾栄一、中尾誠吾、長尾隆介、中尾和多留、中奥ウタ、中川都永、中川真一、中川進、中澤眞佐、中路裕、中嶋進、中島田鶴、中島三枝子、長島盲人会、中島好重、中田英子、中田景子、中田徹夫、中谷武司、中谷泰子、中谷保子、中出美智子、中西菊之助、中西正人、中西恭子、中野勉、中野正子、中野彌平治、中原里美、中町松枝、中村恭子、中村貞子、中村哲、中村繁、中村純治、中村延子、中村良子、菜畠京一、並川秀子、成田稔、南條ひとみ、南條康子、新実新子、西利子、西晴行、西井靖雄、西尾紀子、西岡宗一、西岡信子、西川かをり、西川千草、西口都志子、西小路一葉、錦織房枝、西田美智子、西野文子、西畑貴好、西原重一、西村加代子、西村喜美、西村京三、西村圭子、西村貞子、西村さと子、西村隆宏、西村照代、西村久子、西村美奈子、西村八重子、西村義夫、西村怜子、西本ひさ子、西山和英、西依美津子、日本漢点字協会、丹羽登茂子、丹羽徳子、沼田雄至、根岸寿、野口宝司、野口春美、野ア昭、野ア登美子、野尻誠、野田春夫、野藤銃公、野々山智恵子、野畑ヤスヱ、野原康、信原朝子、野村加代子、野村幸子、野村順栄、野村玲子、野山寿美子、拝師武躬、葉賀トミエ、橋本壮一、橋本敏夫、長谷川きよ子、長谷川喜代子、長谷川紅子、長谷川正國、長谷川美代子、畑一、畑中和男、八田良子、八田一郎、初田法子、服部畝美、服部誠一、服部俊子、花田和枝、花の会、馬場満男、浜井綾子、濱口和子、濱崎孝正、濱田俊彦、早川睦、林勝治、林節雄、林晃次、林トモ子、林美智子(右京区梅津)、林美智子(右京区嵯峨野)、林田三郎、早水久一、原正、原憲男、原田勇、原田尚子、原田佳子、原山憲治、播岡医院播岡敏弘、馬場順子、馬場杉英、馬場俊明、東景子、東野佳月子、樋口ツヤ子、樋口富士子、久木利昭、久常進治、(株)ヒトミ人見康裕、人見米一、桧須磨子、平井欽二、平川公義、平島澄江、平田眞名、平松君恵、平松治子、平山昭一、飛龍ますみ、廣岡清文、弘世晃崇、広瀬滋子、広瀬来三、弘田トモ子、深田美知子、深田康夫、福尾眞佐子、福嶋愼一、福田恭子、福田恒男、福田直彦、福田満子、福田光代、福見久代、福本祐代、福本スミ子、福山功子、藤川知恵子、藤崎文子、藤代禎子、(株)フジタ、藤田和子、藤田敏、藤田ひろ子、藤田洋一、蔓弘、藤林弘之、藤村由喜子、藤本邦雄、藤本善一、藤森信正、藤山和子、藤原八重子、(財)不審菴、二村宏江、船越正夫、舟越義男、船本裕巳子、冨部勝子、古澤晶子、古田正巳、古玉医院古玉宏、古渡正記、古橋マスエ、文堂直治、逸見邦子、鳳友コーポレーション(株)、星川節子、星名ゆり子、星谷医院星谷徹、細井辰子、細井英夫、細川富美子、堀田陽子、堀順治、堀尾光子、堀田明弘、本沢芳子、本庄英雄、本田作江、本間トキエ、前尾有人、前川由美子、前田慶子、前田耿二、前田修二、前田武昌、前中知栄、万木ふみ、牧野敦代、眞桑清、間島弘基、増田寿美子、増田富夫、町田昭、松井郁子、松井珍男子、松井邦芳、松井孝典、松石武治、松尾桂子、松尾文子、松岡辰三、松田剛、松谷一恵、松塚瑠偉、松波善明、松野洋子、松原義人、松村美子、松村ヨシ子、松本幾久子、松本すみ子、松本哲子、松本芳子、松山義則、真鍋清子、真野泉、間野清二郎、(株)丸漬、丸山典子、三浦豊子、三木一弘、三木美恵子、三木佳次、水口武夫、水谷孝昭・史子、水沼米子、水野朝見、水野孝道、水野歯科医院水野雅則、水本静枝、溝口郁代、南初美、南京都高等学校、箕田一子、蓑毛慶一・妙子、三村啓子、宮内正太郎、宮川美知子、宮木マスミ、宮城由紀子、宮ア惠美子、宮崎政彦、宮澤一恵、宮田健、宮田央・祥子、宮永まゆみ、宮原裕子、三和道子、村井倭文子、村井昭治、村尾寛治、村尾幸子、村岡穆、村岡照子、村上笑子、村上孔子、村上志奈子、村上直子、村上元治、村田栄子、村田和子、村山彰、茂木幹央、本草野政雄、森泉樓・恵子、森和彦、森典子、森眞智子、森水恵、森川初子、森田輝雄、森田久男、森田弘光、森田冨佐子、森永正行、森藤哲良、守屋森次、森吉美禰、八木喜美子、八木光代、夜久廣、安井隆、安井ひでこ、安田ひろ子、安田弘、安田勝、安田祐治、安武真理、安間美津彦、安村喜三郎、安元宏、柳澤英二郎、藪内清治、藪内義之、山川美津子、山口英太郎、山口恭平、山口貞子、山口達之、山口晴生、山ア圭ノ亮、山ア佐登子、山ア澄子、山崎陽子、山下恵利子、山下勝子、山城紙業(株)、山添善朗、山田明、山田恭子、山田孝一、山田淳子、山田順三、山田則道、山田久榮、山戸節子、山梨浩志、山西利美、山野勝美、山ノ内和美、山原瑞穂、山本綾乃、山本早苗、山本珠子、山本敏弘、山本信子、山本紀弘、山本秀夫、山本富美子、山本正子、山本典子、山本光子、山本義夫、山盛良子、結城ゆかり、雪野英春、弓削堅志、弓削由佳、弓谷美智子、横山和子(綾部市)、横山和子(左京区)、吉岡隆則、吉岡尚子、(株)吉川印刷工業所、吉川幸子、吉川良太郎、吉崎久、吉田恵子、吉田浩一、吉田幸子、吉田三郎、吉田順太郎、吉田千寿子、吉田華子、吉田温子、吉田久枝、吉田眼科医院吉田雅子、吉村學、吉村美佐子、葭矢みどり、米澤晶子、米田承子、米田孝、米田道正、寄下博司、楽只地域女性会、洛星中・高等学校オーケストラ部、洛陽保育園、洛和会音羽病院、竜瀬弘、わいわいネット、若杉陽美、和田恭子、和田光雄、和田美代子、和田美和子、渡邉一夫、渡辺多鶴子、渡辺ツヤ子、渡邉文子、渡部隆三、匿名6件 編集後記  創立50周年。まだ先だと思っていたら、あっという間に時が経った。今号の編集にあたり、あらためてふり返った50年の歩み。文字と写真が語る、ライトハウス誕生から今日に到る歴史にかかわった人々の強い志と情熱を思う。  記念式典当日、壇上に掲げられた鳥居先生の写真を見ながら、大きな節目に立ち会っている実感がこみ上げてきた。同時に、これからどんなに厳しい時代が訪れても、強い志と情熱を失ってはならないと言われているような気がした。  ここで出逢う皆さんの心に希望の光を届けられるよう、灯を絶やすことなく、これからも一層の輝きを増していけるライトハウスでありたいと思う。 (冨田 裕美子)